神はお怒りになられますぞ
以前、投稿した記事です。
レジ袋のごみは減ったけど、プラごみが増えてしまっているという内容。
今回は新たな事実を知ってしまいました。
なんと、不織布マスクが大量に海に流されているようですね。その数15億枚。不織布素材はプラスチックの一種で分解されずに残るみたいですね。
海外では廃棄マスクが排水溝を詰まらせる問題が発生したり、日本でもトイレに流したマスクが下水道にたまり、いろんな不具合が発生したところもあるようです。
マスクをトイレに流すなど考えもしませんでしたが、そういう事を何も考えずにやってしまう方もいるんですね。
こういう愚行を繰り返していると、今以上に大きな試練が神様から与えられるかもしません。
今日のちょっと一息
「神よ!ご乱心召されるな!!」
おいおい・・・。あぶねー
先日、ちょいと用事があり、警察署に行った時の事。あ、決して悪いことをしたわけではありませんよ!
年配の女性が免許更新の手続きをしているのが見えました。何かの引き寄せ効果でしょうか・・。妙に気になったため、私の用事を待っているふりをして近くのソファーに腰掛けました。
そこでの女性と免許更新担当者との会話が恐ろしかったんです。(女性A、担当者B)
B「うーん。やっぱり免許更新に必要な視力ではありませんね。」
A「え?そうなんですか?」
B「ええ。検査したところ、あなたの視力では免許更新はできませんよ。」
A「いやー、実は私ね・・・。白内障なの。近々手術する予定だから。手術終わったらちゃんと見えるようになるから。」
B「手術はいつあるんですか?」
A「いや、まだ決まってないのよ。」
B「そうなんですね。いずれにせよ、免許の更新はできませんよ。」
A「なんで!!今、ちょっと見えないだけじゃない!いつもこれで運転して問題ないんだからいいでしょ!!」
B「あのですね。矯正視力で0.3程度も見えてないのに、免許の更新ができるわけないでしょ?」
A「だから、白内障の手術が終わったら見えるようになるのよ!!もう!もう一回視力検査してちょうだい!」
B「もう2回したんですよ。それで見えてないんですから、何度やっても一緒です。」
A「〇✖◇☎〒〠!🍙・・・・」(何と言っているか分からなかった・・・。多分キレてたんだと思います。)
・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・。
恐ろしいですね・・・・。
Aは見えてないんですよ。しかも、逆切れ。担当者も困り果ててる様子でした。
そもそも、今まで運転に必要な視力がないにも関わらず運転し続けていた事実がさらに恐ろしい・・・・。0.3って結構危ないと思うんですが・・・・。夜の運転とかはほとんど見えてないでしょうね・・・。
無理やり免許更新して(そんなことはあり得ないと思いますが・・・。)事故を起こし、人の命を奪うリスクと、視力が回復するまで免許更新を保留にすることを天秤にかけてどちらが良いかの判断がつかないの?と言ってやりたい気持ちでした。そのほかにも私のブラックな心の声が溢れ出てきてました・・・。
こういう方たちを相手にしないといけない警察の方も大変です・・・。
損得よりも善悪で物事を考えるようにしないといけないな、と考えるいいきっかけでした。
今日のちょっと一息
「一文惜しみの百知らず」
当たり前は有難い
お母さん、お父さんの皆さん。いや、お母さん、お父さんに限りませんが、日常で当たり前にやっていることに対して感謝されたことはありますか?
今日はそんな当たり前のことについての話です。
先日、自宅に帰ると、リビングの壁に下のような手紙が飾ってありました。
「おかあさんへ まいにち じかんをかけて そうじしてくれて ありがとう」
次男からの妻に対する手紙です。
妻が仕事から帰り、家の掃除などをして一段落したあと、ちょっと横になって休憩していたら少し眠ってしまったそうです。その間に次男が手紙を書いて枕元に置いてたそうな。
これを見た妻は当然ながら感動。涙がちょちょり。嬉しすぎるあまり、装飾して壁に飾ってしまったということです。
妻は当然のように家事をしています。私自身、それが当たり前の光景になっており、それに対して感謝の言葉などあまりかけたことはありません。たぶん・・・。(ダメな夫です。)
しかし、次男は母親が仕事から帰ってきて疲れているのにも関わらず、家のことまでやっていることに対して何か感じることがあったのでしょう。しかし、軽度の知的障害、自閉症というのがあってか、自分の思いをなかなかうまく口に出して言うことは難しかったのでしょう。自分にできることは何か、相手がどうすれば喜んでくれるかを、次男なりに考えて出した結果が、自分の知っている言葉で感謝を伝えるということだったのだと思います。しかも、「じかんをかけて そうじしてくれて」です。「そうじをしてくれて」ではなく「じかんをかけて」がついています。
以前、次男は私にも手紙を書いてくれました。
「おとうさんへ いつも べんきょうの ようすを みてくれて ありがとう」
なにか特別にしてあげた、なにか買ってあげたなどの行為ではなく、普段、私と妻が当たり前のようにしていることについて「ありがとう」を伝えてくれる次男。
「当たり前」の反対は「有難い」といいますが、これを知っている大人の方はどれぐらいいるでしょうか?私自身、本を読んだり、講演を聞いたりして、いいおっさんになった時に気付いた、知ったことです。
小学校一年生の子供が誰からも教わっていないにも関わらず、体感でこれを実践でできる。これはすごいことだと思いました。
次男はたくさんの方に支援を受けて生活しています。周りの子供に比べてできないことは多いですが、支援を受けている分、周りの子供に比べて「感謝」を伝える事は格段に多いのかもしれません。だからこそ、当たり前のことに対して、「ありがとう」と素直に言える環境に身を置かせてもらっている。そしてそれが、いい意味でも悪い意味でも「次男の素直さ」と相まって「感謝」として自然に出てくるのかもしれません。
私も目の前の「当たり前」に感謝できるよう、素直な心を持ちたいものだと、10歳にも満たない子供に教えられました。
今日のちょっと一息
「ありがとう」を栄養に、「当たり前」を消化して、「ありがとう」を発散しよう!
だからこそ 褒めて伸ばす
次男は知的障害があります。体の成長に関しても、成長曲線の最下限をなんとかギリギリ追って行っているぐらいの成長です。なので、運動機能に関しても、周りの子供が難なくできることも、若干難しい場合が多いんです。
先日、次男が私にこう話しかけてきました。
「お父さん。ぼくね、投げられたボール(ドッチボール専用の少し柔らかいボール)を取れるようになったよ。今度、お父さんがお休みの時に一緒に遊ぼうね。」
そう言われたので、遊ぶ約束をしました。
そして、休日。
次男がさっそく誘ってくれました。どんな感じでボールを投げて取れるのか、わくわくしながら、いざ!スタート!
私がボールをだいぶ手加減して投げました。(少し山なりでふわっと投げる感じ)
なんと、取れるのではないですか!!!そして、受け取ったボールを片手でしっかり投げ返す事も出来たんです( ノД`)シクシク…
それくらいできるでしょ?という感覚がある方もいらっしゃるかもしれませんが、今までの次男の運動機能から考えるとスゴイことなんです。
ついつい、私は投げるスピードをどんどん速めてしまいました。当然、次男は受け取ることができません。しかし、後ろに逸らしてしまったボールを追いかけては投げ返してきます。
いつもであれば、泣いて諦めていたのですが、今回は違いました。
「あ!とれなかった!次はとるぞぉ!」とやる気が出てきているんです。
そういう姿を見るにつけ、私も熱が入ってしまい、どんどん投げては、アドバイスし、できたら褒める、失敗したら次はきっとできる!と言葉をかけるの繰り返し・・・・。
(松岡修三ばりの熱があったかもしれません・・。近所迷惑だったかもww)
50回ぐらい投げたり、受けたりを繰り返したでしょうか。息子は明らかに疲れていましたが、満面の笑顔です。楽しいんでしょう。おそらく、できるようになったこと、そして、失敗しても次のチャレンジでできるかもしれないという期待感があったからだと思います。
そんな次男の一生懸命な姿に、心打たれた一日でした。
周りの子供よりできることは少ない。どうしても、できないことばかりに注目してそれを出来るようにさせようとばかりしていました。生きていくためにはできないことを出来るようになることは当然ながら必要だと思います。だからこそ、今できる事、できるようになったこと、それらの努力に対して褒める。それが、できないを出来るようになるために必要な能力の伸ばし方だと思いました。
今日のちょっと一息
「頑張るもいいけど、顔晴るも素敵!!」
たったひと言。ただそれだけで・・・・
いやー、走った走った。
ロードバイクを初めて約3か月。初めてまともに100kmを走り切りました。
まぁ、100km走り切ったことがどうということはないのです。今回のサイクリングを通じて勉強になったことがありました。
年度末になると、道路工事があちこちで実施されていますよね。
ロードバイクは自動車と同じように道路交通法に則り、自動車レーンを走行しないといけません。当然ながら道路工事で車線規制などがある場合、ほかの自動車と同様の運転をします。
今回、私が住んでいる付近で道路工事があり、片側通行の規制。警備員さんが誘導をしてくれていました。私が通る時には「はい、どうぞー。お気をつけてー。」との挨拶。
それだけでなにが勉強になったの?と思われるでしょう。
今回の話のポイントはここからです。
100km走って自宅へ戻る際に、当然ながら先ほど説明した工事中の道路を走ります。
帰る時には結構ヘロヘロ。足もガクブル状態。(初心者なのに無理しすぎ!!!)
警備員さんの誘導の合図に、道路を通行したその時!!!????
「おかえりなさーい。おつかれさまですー。お気をつけてー。どうぞー。」
なんと、「お・か・え・り・な・さ・い」ですよ!!!
言葉は悪いですが、まさか道路工事の警備員さんがそんな言葉をかけてくれるとは思ってもいませんでした( ノД`)シクシク…
その言葉を聞いた私はとっさに、「ただいま!!お疲れ様です!!」と親指を立ててグッドのハンドサインをして挨拶をしてしまいました。言うまでもなく気分爽快。私の中で何とも言えない幸せな気分が溢れ出ました。
「ココロを込める」
そこにはマニュアルや技術などは一切不要。ただ「相手を想う」こと。それだけで自然と警備員さんのような粋な一言が出てくるんだと思いました。
たったひと言。ただそれだけで人は幸せになれるんですね。
今日のちょっと一息
「良い言葉は いい人生を作る。」
教育とは
「教育とは気づきを与える事だ!」
大ヒット中の「呪術廻戦」に出てくる夜蛾正道の言葉です。
おー!すげー!その通りだ!っと共感しつつ、以前読んだ本だったか、人から聞いた話かどちらかは忘れましたが、こんな話を思い出しました。
教育には色んな形があるようで、鏡育、共育、響育、恐育などなど他にも多数。
私の次男は障害を持っている為、鏡育や共育を意識しなさいと教わった事を思い出しました。
たしかに、次男は普通に物事を教えても理解するまでに時間がかかり過ぎます。なので、親である私たちがまずお手本を見せる(鏡育)、そしてできるようになるまで一緒に頑張る(共育)といった感じでやっているつもりです。
それが伝わっているのかは分かりませんが、次男は目の前の課題に対しては一生懸命に取り組んでくれます。時々、エネルギー切れで泣く事もありますが笑笑
そんな時もあまり無理はさせません。だって、頑張ってるのは誰もが知ってますから。
ただ、最近は少しズル賢い次男の姿も目撃👀しかし、それも成長の証。色んな事を経験させることが大切だと思ってます。
もし、間違ったこと、悪い事をしてしまった場合には、ちゃんと説明して、理解するまで何度も教えていく気概は私たち夫婦にはありますから。(偉そうなこと言ってますが、私なんかはたまに無駄にキレちゃうことも。次男はなぜ怒られてるかわからず、号泣。これぞ恐育。私が無駄に怒るのも私自身の教養がなく、ちゃんと説明できないからなんですよね。もっと勉強せねばなりませんな。。。。。)
やはり、人を育てる為には学問だけではなく、生き方の勉強も必要ですね。
「子供は天からの授かりもの」とはよく言いますが、私はこう考えてます。
「子供は社会からの預かりもの。人から必要とされる存在に育てて社会にお返しする。
」
私の子供はいろいろな方から支援を受けています。本当に感謝ばかりです。
この恩返しとして何ができるんだろうか?とずっと考えていました。
そんな時、ある方の講演で聞いた話をもとに私が出した答えがそれでした。
(どなたの話かはちょっと忘れてしまいましたが・・・・。)
それを実現するためには子供だけがいくら頑張っても無理です。
「あなたの子供なら私が面倒見てあげるよ。」
「あなたの子供ならぜひうちに来てください!」
のように、親である私自身も子供と一緒に成長していく必要があると思っています。
それが、共育なのでしょうね。
(専門家ではないので、間違っていたらすみません。私の直感です。)
恩返しができるまでにはまだまだ時間がかかります。
けれども、その時が来た時にはきっと大きな恩返しができると信じて前に進んでいきたいと思います。
今日のちょっと一息
「何を読むかよりもどう読むか。漫画?いいんじゃない?? 領域展開。感謝螺旋。」
ゴーストライター
子供の学校の冬休みの課題。読書感想文。
マニュアルなるものが学校から配られていました。
「読書感想文の正しい書き方!」
こんなのあるの?ってビックリでした。
私が子供の頃はこんなのなかったのに。
そもそも読書感想文に正しいも正しくないもあるものなのでしょうか?読んだ感想を思いのままに書けばいいだけなんじゃない?と屁理屈を言っているのは私だけ??
普段あまり本を読まない私の子供にとって、読書感想文という宿題は苦行の他なりません。(サバイバルとか〇〇のしくみという類の本は積極的に読むのですが・・・。)
図書館から数冊の本を借りてきたものはいいものの、読む気が起きず、ダラダラと過ごしていました。
そんな姿を見かねた私が子供に言ったこと。
「読書感想文なんて読まなくても書けるぞ!本のタイトルと目次さえ掴めば後は想像に任せて自分の気持ちを書けばいいんだよ!」です。
学校の先生にこんな事を言ってるのがバレたら怒られそうですが、ズル賢い私は、子供の頃にはそれで宿題を潜り抜けてきました。しかも、何度か入賞もしたりしてW w W。
ということで、口だけ出して何もしない父親にだけはなりたくなかったので、お手本に私が書いてみることになりました。
子供が指定した本を手に取りタイトルと目次を確認、その後、30分程度で原稿用紙3枚分を記入。
それを、子供に見せると、
「やば!これ、そのまんま写したらいいじゃん。」
。。。。。。。。。
なんということでしょう。。。。
参考にするならまだしも、コピペするとは😂
まぁ、今回は提出までの時間も迫っていましたし私が悪知恵をつけたので仕方ないでしょう。という風に自分に言い聞かせました。
次からはちゃんと手間を抜いてもらえれば笑笑
あ、手抜きではなく、手間抜きですよ!
ちなみに、読書感想文の本はこちらでした。
後日、子供とこんな話をしました。
私:「もし、この読書感想文が入賞して、全校集会とかで表彰されたときには、コメントを求められるかもだから、ちゃんと読まないといけないね( ´艸`)」
子供:「え!?お父さんが読んで教えてよ!!!」
はい。これぞ、ゴーストライター兼ゴーストリーダー。
今日のちょっと一息
「いいじゃないか。ゴーストライターだもの。育てたように子は育つ。」