今日のちょっと一息

人生皆師 楽しく生きよう!

当たり前は有難い

お母さん、お父さんの皆さん。いや、お母さん、お父さんに限りませんが、日常で当たり前にやっていることに対して感謝されたことはありますか?

 

今日はそんな当たり前のことについての話です。

 

先日、自宅に帰ると、リビングの壁に下のような手紙が飾ってありました。

 

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「おかあさんへ まいにち じかんをかけて そうじしてくれて ありがとう」

 

次男からの妻に対する手紙です。

 

妻が仕事から帰り、家の掃除などをして一段落したあと、ちょっと横になって休憩していたら少し眠ってしまったそうです。その間に次男が手紙を書いて枕元に置いてたそうな。

 

これを見た妻は当然ながら感動。涙がちょちょり。嬉しすぎるあまり、装飾して壁に飾ってしまったということです。

 

妻は当然のように家事をしています。私自身、それが当たり前の光景になっており、それに対して感謝の言葉などあまりかけたことはありません。たぶん・・・。(ダメな夫です。)

しかし、次男は母親が仕事から帰ってきて疲れているのにも関わらず、家のことまでやっていることに対して何か感じることがあったのでしょう。しかし、軽度の知的障害、自閉症というのがあってか、自分の思いをなかなかうまく口に出して言うことは難しかったのでしょう。自分にできることは何か、相手がどうすれば喜んでくれるかを、次男なりに考えて出した結果が、自分の知っている言葉で感謝を伝えるということだったのだと思います。しかも、「じかんをかけて そうじしてくれて」です。「そうじをしてくれて」ではなく「じかんをかけて」がついています。

 

以前、次男は私にも手紙を書いてくれました。

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「おとうさんへ いつも べんきょうの ようすを みてくれて ありがとう」

 

なにか特別にしてあげた、なにか買ってあげたなどの行為ではなく、普段、私と妻が当たり前のようにしていることについて「ありがとう」を伝えてくれる次男。

 

「当たり前」の反対は「有難い」といいますが、これを知っている大人の方はどれぐらいいるでしょうか?私自身、本を読んだり、講演を聞いたりして、いいおっさんになった時に気付いた、知ったことです。

 

小学校一年生の子供が誰からも教わっていないにも関わらず、体感でこれを実践でできる。これはすごいことだと思いました。

 

次男はたくさんの方に支援を受けて生活しています。周りの子供に比べてできないことは多いですが、支援を受けている分、周りの子供に比べて「感謝」を伝える事は格段に多いのかもしれません。だからこそ、当たり前のことに対して、「ありがとう」と素直に言える環境に身を置かせてもらっている。そしてそれが、いい意味でも悪い意味でも「次男の素直さ」と相まって「感謝」として自然に出てくるのかもしれません。

私も目の前の「当たり前」に感謝できるよう、素直な心を持ちたいものだと、10歳にも満たない子供に教えられました。

 

 

 

今日のちょっと一息

「ありがとう」を栄養に、「当たり前」を消化して、「ありがとう」を発散しよう!