今日のちょっと一息

人生皆師 楽しく生きよう!

大変だとよく言われますが、感動することのほうが多いです

「そうだったんですね。ご苦労も多いことでしょう。大変ですね。」

私がよく言われる言葉である。

 

私の家族のことを話すときに次男の話題になると障害の事も話すのだが、ほぼほぼ全員が冒頭のような表現をされる。別にこれが悪い気分がするというわけではない。むしろ相手のことを気遣ってくれていると思うくらいだ。

 

 

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おそらくほとんどの方は障害を持っている家庭の親御さんたち、また、介助、支援をしている方々は本当に大変で苦労が多いことだと思われているのだろう。障害の状態によっては確かにそうかもしれない。毎日が苦しく、自分の時間をすべてその方に注いでいる方もいることだろう。そういう方もいるというのをちゃんと理解したうえで私は思うのだが、私自身は「感動や感謝することのほうが多い。」と思っている。

 

私の子供の場合でも「将来への不安」というものは尽きない。誰からの支援なくして生きていけるのか?仕事に就くことができるのか?先天性の奇形は悪化しないだろうか?障害がきっかけとなり人間関係が悪化して孤独にならないだろうか?などなど。言い出せばきりがない。ただ、障害を持っている持っていないに限らず誰もが持つ不安なのかもしれない。「障害」という言葉が「大変」「苦労」「辛い」などのマイナスなイメージを誰もが連想するのだろう。私もそうだった。次男が生まれて障害があることが分かり、ある方からの話を聞くまでは。

 

約6年前、次男の障害が判明したり、その他いろいろな事が重なり人生のどん底という感じで過ごしていた。その時に、職場に私の尊敬する上司が転勤してきて、久々に色々な話をした。その上司には私は心を許しており、ありのまま自分の状況を話した。その中で次男の障害の話をしたときに、上司から言われたことが、

「そうだったんだね。でも、よかったと思うよ。俺は安心した。ハンディを持って生まれてくる子供は自分のことをしっかり育ててくれて、愛情をたくさん与えてくれる親のもとに生まれてくるんだよ。あなたにはそういう役割があるんだよ。確かに、苦労もするだろうし、いろいろな困難があると思う。でもね、それ以上に感動することや感謝することのほうが多いはず。そしてあなたにいつか大きな「何か」がいい形で返ってくると思うよ。」と。

今までが「大変ですね。」「苦労なさってるんでしょう。」「悩みが尽きないですね。」などマイナスを共感するような話ばかり聞いてきた。上司のこの一言がきっかけで私の気持ちはぐっと軽くなった。本当に。

 

次男の療育も最初はうまくいかないことが多かった。自閉症も相まって独り言が延々と続いたり、空を見上げて何かをつかんで食べる仕草をやってみたり、同じところをぐるぐる歩き回ったり、人の話を座って1分も聞けない・・・・。まぁ、心が折れそうになることもあった。

しかし、いろいろな方のご支援があって、少しずつ、本当に少しずつではあるが、できることが増えてきた。椅子に座って話が聞ける。たったこれだけで「おお!」と感動。名前を呼ばれて「はーい」と返事ができる。たったこれだけで「まじか!?」と感動。小さなことで感動しっぱなしの日々。常に「障害」という言葉が頭の中に張り付いたままだったのがほんの小さな「感動」の連続でだんだんと剥がれていった。上司の言葉が何度も頭の中をヘビロテしている。

 

あいをんちゅー🎵ポップコーンが弾けるように「感動」という文字が躍る

こんな気持ちになれるって 僕はついてるね

 

最近の感動の極みがこれだ。

 

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 小さなことに気付いて「ありがとう」を伝える。大人でもなかなかできないことができるようになった。

 

 

親御さんたちの話で「うちの子供が言うことをきかなくて」「なんであんな風になったんだろう」など子供に対しての愚痴をこぼす場面をよく見聞きする。これは完全に毒を吐くが、いや、大炎上ものだと思うが、障害を持ってなくても素直でないちょっと方向性を間違った子供のほうが何かと大変だなと私は思う。そして感動や感謝の気持ちがほとんど見えない。いや、たまにそれで大成する方もいるとは思うが、そういう人はもともとが素直だと思う。私は成長は素直さに比例すると思っている。

 

これからもいろいろな事が待ち受けていることだろう。しかし、目の前に起きた事実をしっかりと受け止めて「感謝」することを忘れず、「素直」になり、「感動」する日々を送っていきたい。

 

今日のちょっと一息

「救世主はだいたい落ち込んだ谷底で現れる」

私の上司は救世主だった。