今日のちょっと一息

人生皆師 楽しく生きよう!

捨てる勇気

何か問題が起きた時、人は問題を解決しようとして何かを新たに始めようとする。それはそれでいいかもしれません。しかし、時には「何かをしない」という選択肢も必要なのではないでしょうか。

 

私の次男君は「軽度知的障害を伴う自閉スペクトラム症」という診断がされていて療育中でした。「でした」というのは、現在は小学校に通っており、そこで集団生活や通級学級での学習に注力している。要は、学校以外の療育を一旦中止しました。

 

私ども夫婦は、次男君が少しでも多くの事ができるよういろいろな療育を受けさせていました。それは幼稚園に通っている間まではよかったのですが、小学校に入ってからは次男君の集中が続かなくなってきていました。

 

「病院の先生が次男君のためにいろいろと教えてくれているから、頑張ろうね。」とか、「今日のこの訓練が終わったら、〇〇を食べようか!」とかありとあらゆる方法で療育をちゃんと受けさせようとしましたが、あまりうまくいきませんでした。

 

それもそのはず。

次男君は体が小さいです。成長曲線の一番下をギリギリ追って行っている、いや、ちょっと下回っているが微妙に成長しているぐらいの成長具合。自分の体の半部くらいの大きさのランドセルを背負い、(そして次男君にとっては重すぎる)普通の子が20分もかからないで通う道を、テクテク✖2、40分くらいかけて通ってます。(長男もそれに付き合ってくれている。本当にありがたい。)

自宅と学校の往復だけでもけっこうきついはずなのに、学校の授業を頑張って受けて、やっと帰ってきたと思ったら、すぐに学校の宿題を終わらせて療育施設へ。

そんな感じでした。

 

そこで「療育を一旦中止して、学校生活に専念させる。」という決断をしました。

そのほうが次男君にとって現段階ではベストと考えたからです。

 

療育先の先生も快諾していただき、また生活が落ち着いたら来てくださいとの返事もいただきました。

 

療育を中断した後は、次男君の生活も安定し、学校生活もなんとかうまくやっていっている結果となってきました。(学校の先生の多大なるご支援も相まって)

 

次男君に「足し算」を頼って問題を解決しようとばかりしていました。

それもある一定の時期までは本当に良かったと思います。しかし、成長とともに「足し算」ばかりではうまくいかないことも出てきました。そこを私たち親が自覚せずに、さらに「足し算」ばかりに気を取られていたら、次男君は学校生活も中途半端になっていたかもしれません。障害があるからこそ、いろいろな対策を講じないといけないことは十分に理解できます。でも、本人の「今」の体と心の状況をしっかり見てあげなければいけません。自分の考えを過信したり、他人の意見や周囲の状況に流されたりしてしまうと判断を誤りやすくなるのではないでしょうか。

 

ただし、注意すべきは大切なものを引き去らないこと。何が重要かを見極められたら「引き算」もしやすいでしょうが、その見極めができないからなかなか苦労します。

今回の私の「引き算」も答えが合っているかはわかりません。間違った判断かもしれません。そうであれば、間違っていたと気づいた時点ですぐに軌道修正できるよう、日々子供と接してあげる事が重要だと思います。

 いかに子供と触れ合うか。大事な事だと実感しました。

 

 

今日のちょっと一息

「つまづいた石は踏み石にもなる」