今日のちょっと一息

人生皆師 楽しく生きよう!

出来ない理由を口にする界隈

今日の私はいつもとちょっと違う感じで文章を綴っていきたいと思う。多少汚い表現やブラックな心の一部が見え隠れするかもしれないがご了承いただきたい。

読むのが苦痛になった方は素早く下までスクロールをして、ブックマークボタンやスターボタンを押されるのがいいと思う。

 

本日のブログは私の誇大妄想により構成されております。実際に存在する人物、団体とは一切関係ありません。

 

 

皆さんの周りにはいないだろうか?何かやろうとすると、あーでもない、こーでもないなどと宣い何もやらない人間は。私の周りにもたくさんいる。仕事でもプライベートでも。特に仕事上でのやり取りの時には顕著だ。そもそも、やりたくない理由がくだらない。「時間がない。」「お金がない。」「今までやってきたことが無駄になる。」「だるい。」「自分には向いていない。」などなど。やってもいないうちから出るわ出るわ。

 

これが子供であればまだ何となくわかるが、分別のある大人が宣っているのが面白い。しかもその方々には子供がいる場合がまたこれ多し。そしてまた面白い。

 

なぜ「こうすればできるかもしれない」と頭が働かないのか?「2位じゃダメなんですか?」「マスクはいつまでやるの?」くらいは頓智をきかせて言ってほしい。そんな奴にはこう言い返したい。「3位でいいんじゃない?」「マスクはパンツ。家に帰るまで。」

 

話が少し変なふうになってしまったが、できない理由を口にする方々でかつ子供がいる方は自分が言っていることが分かっているのだろうか。

もし、自分の子供ができない理由を並べ出したらなんていうのだろうか。

「寝る前に歯磨きをしなさい!」と言って子供が「時間がない。」「お金がない。」「だるい。」と言い出したらどうするのだろか。ましてや「歯磨きは2位じゃダメなんですか?」「歯磨きはいつまでするの?」と子供のほうが頓智をきかせてくることが多い。テレビやメディアの情報を吸収して返還させる力は子供の得意分野だ。想像するだけで面白い。できない理由ばかり口にし、世の中のことを何も学ぼうとしない親では、子供が少し頓智をきかせた言葉を発しただけでホームランを打たれてしまう。だってストレートしか武器を持ってないから。しまいには「つべこべ言わずにやれ!」とデッドボールを喰らわす。子供は反抗的態度。場内大乱闘の開始。はい。没収試合

 

 

出来ないことはたくさんあるかもしれない。しかしそこで思考停止していては何の成長もない。現状維持は退化と言われるのも納得だ。どうすればできるか?を常に考えること、そしてその「どうすれば?」の引き出しを多く持つためにいろいろな事に興味を持って勉強し続ける事が大切なのではないか。私はそう思う。

 

出来ない理由を口にしてしまう親に言いたい。子供がこう言ってきたら気づくはず。

「あのね!僕は気づいたんだ!お父さんとお母さんの子供だからきっとなんにでもなれる気がする!」

さあどうだろう?子供に言えるだろうか?

 

 

多少乱暴な文章でしたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。今回のブログは私自身への戒めとして書いたつもりです。不快な思いをされた方へはお詫び申し上げます。

 

 

今日のちょっと一息

かめはめ波は打てるようになるかな?」

 

 

 

 

アドレナリン爆発!どうすればできる??

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 午前8時30分。我が町の高台からの朝日が昇る風景。なんとも気持ちがいい。最近、ロードバイクの朝練なるものを始めてみたのです。70キロくらいを3時間ぐらいで走り切る練習をやってみているんですが、なかなか厳しい!!

(正直何を目指しているのかわかりませんが、私は何か始めるとハマってしまうんです・・・。自分を追い詰めるのも結構好き。ドM体質。)

 

さて、昨日の事、休日で朝練をやっていた時、スマホに着信がありました。

嫌な予感がしましたが、恐る恐る出てみると・・・・・、

「緊急事態発生!!至急、出社せよ!!!」→こんな言い方ではないですがww

 

えーーーー!!!自宅から40㌔程度走った地点でまさかの緊急事態発生。

自宅まで引き返すには30㌔くらい。どう計算しても1時間30分は最低でもかかる・・・。指定された出社までの時間には間に合わない・・・・・。

 

さあ?どうする?私の低スペックの脳がフル回転。いくつかの選択肢が出てきました。

①「緊急事態なのはわかりますが、時間内に出社できません。」と素直に謝る

②「公休なので、無理です。」と突っぱねる。

③タクシーをつかまえて自宅に戻る。

④死ぬ気で走って戻る。

はい。私の低スペックの脳みそではこれくらいしか解決策が出てきません。

とりあえず、何も行動を起こさないと何も始まらないので、自宅に戻るために引き返し、それぞれの選択肢について走りながら考えることにしました。

 

①「緊急事態なのはわかりますが、時間内に出社できません。」と素直に謝る。これが一番ベストな選択と思われますが、できない理由を言わないというのが私の信念(たまに信念に反する行動をとりますが・・・。)ですので、却下。

 

②「公休なので、無理です。」と突っぱねる。外面良し男(そとづらよしお)の異名を持つ私なので、こんなこと言うやつは最低だと思われたくないので却下。

 

③タクシーをつかまえて自宅に戻る。朝練時は所持金1000円しか持たないようにしてるので却下。そもそもイノシシが出てくるような山道を走っているのでタクシーなんか捕まらない。

 

④死ぬ気で走って戻る。はい。これが正解。これしかない。上記の無駄な選択が思いつく前に死ぬ気で走ればよかったんです。

 

 

人間というものは素晴らしい生き物です。普段は本来の数%しかいろいろな力を使っていないとはよく言いますが、本当にそうなんでしょうね。走ってみると意外や意外。今までにないくらいの巡航速度で走ることができたんですね。通常、平地では時速25㌔~30㌔がなんと、時速35㌔~40㌔で、坂道では時速12~15㌔がなんと、時速18~20㌔で走っていたんです。しかも、たいして息切れもしていない。「俺にこんな力があったのか!!!」とちょっとびっくり。田舎道なので速度制限40㌔がほとんどなんです。なので、自動車とほぼ並走状態。軽トラを運転しているおばちゃんや原付バイクのおじちゃんがかっ飛ばしていく自転車にビックリしているのがわかりましたww。アラフォーのおっさん(私)。よく頑張りました。

 

そんなこんなで、なんとか時間内に出社でき、事なきを得ました。

しかし、アドレナリンを爆発させて普段使わない力を使い果たした影響か・・・。出社後、気が抜けた私に襲い掛かったもの。「睡魔」。眠い。眠い。体が休息を欲している。「アドレナリンよ!!!再び私の体の中に召喚されよ!!!」と世界の中心でいくら叫んでもその願いは叶わず。人生は不条理。私の体の中に残ったわずかな灯火が消えないようになんとか仕事をやり遂げました。

 

今回学んだことは、「やればできる!!」ですね。ごちゃごちゃいろいろと考えると、ついつい無駄な選択が増えてしまいます。それに伴いできない理由もたくさん出てくる。「できない!」ではなく「どうすればできるか?」を常に考える癖をつけないといけないと思いました。

 

 

今日のちょっと一息

「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」井上靖の名言。

 

 

歳をとるごとに進化させる

大人になると物事の「緩急」が分かってくる。若いころは何でもかんでも、百パーセントでことにあたりがちだ。だけど常にそれだとミスも増える。周りも目に入らない。戦いでは相手もプロだから、行き詰まる。

そんな時は、少しスピードを緩めてみるんだ。すると加速に転じたとき、より「速く」みせられる。僕自身、体が疲れを知るようになってからの方が、いいプレーができるようになった。うまくいかないなら、一歩引いてみる。歩幅を緩めれば見える景色も変わる。ずっと同じリズムだと乗り切りにくいのは、人生でも同じじゃないのかな。

         引用 2021年2月26日 日本経済新聞  サッカー人として 三浦知良

 

2月26日で54歳になった三浦知良さんの記事です。この年齢までサッカーを続けていることもすごいですが、記事の内容にも感動しました。サッカーという一つのスポーツを通して、仕事や人生の道を切り開く。これこそ「スポーツ道」「サッカー道」というのでしょうか。

 

何かを一途にやり遂げる時、そこから色々なものが見えてくるのでしょう。若い時はがむしゃらにやって成し遂げられた事が、歳を重ねると力の抜き具合がわかり、もっと上手くいく。

逆にチカラを抜きすぎて出来ていなかったことが、何かのきっかけによってガムシャラになり成し遂げる。

「きっかけ」というのは色んな所にあるはず。どうすればそれを引き寄せられるか?それは自分の意識次第。

 

きっかけをバネにして色々な経験を重ね、そして歳をとるごとに人間としての旨味も熟成されていくのでしょう。

 

人生に順風満帆はあり得ない。だからこそ、自分にとって良かったことも悪かったことも人生を旨くする為のスパイスとなれるように(考えられるように)なりたいものです😂

 

たくさんの経験をした方の話が面白いのは、旨味が熟成されているからなのでしょう。生半可な知識と経験では人の心を動かすような話はできないはず。

 

私がじいさんになった時に、子供達、孫たちに面白くかつ勉強になる話をたくさんできるように日々勉強だなと考えさせられた記事でした。

 

 

今日のちょっと一息

「うちの爺ちゃん、話がなげーなぁ。」

 

 

 

 

今日も楽しい日でした

天気は快晴!風もほぼ無風。気温も寒すぎず熱すぎず。こんな時はロードバイクで走るに限る!ということで走ってきました。

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途中の休憩時にパシャリ。雲一つない青空!

チョー気持ちいいのはよかったのですが、目的地を鰻が有名な地域にしておりまして、往復100㌔超えのロングライド。いつもは準備万端で走りに行く私ですが、、やらかしてしまいました。

自宅から意気揚々と走り、ちょうど50㌔地点。目的地の鰻屋さんに到着!!疲れた体に活力補給と意気込んで、いざ!出陣!と・・・・・。

あれ???財布がない!!!

がーん。😨

なんという事でしょう。財布を忘れてしまっているではありませんか。

何度もポケットを漁りましたがありません。出てきたのは、以前走った時にお釣りをそのままにしていたであろう500円玉が一枚だけポケットから・・・・。2000円以上はする鰻なんて一口も食べれやしませんでした・・・・。

まあ、こんな事もあるよねと自分に言い聞かせて、帰ることに。

500円あったので、帰り道に通る行きつけの激安ラーメン店に行くことにしました。

そこは、本格的なとんこつラーメンが360円で食べられる何とも素敵なお店。替え玉を頼んでも500円でお釣りがくる!昼食時には毎日行列ができるお店なんです。

ちなみに「福の家」というラーメン店。360円であんなにおいしいラーメンが食べられるのは、感謝しかありません。お店の経営努力に脱帽です。

 

そこで、ラーメンを食べていると一組の若いカップルが入店してきました。(おそらく大学生でしょう。)二人はお座敷に座りラーメンを注文。ラーメンが運ばれてきて食べているところを見ていると、男性の方が「正座」して箸とレンゲを上品に使い、姿勢正しくズルズルと音を立てることもなく、お上品にラーメンを召し上がっているのではありませんか。私の方はというと、ズルズルと音を立てまくり、鼻水をたらたらと垂らしながら、お下品な食べ方でありまして・・・。彼の食べる姿を見て、ひとりの大人として大変恥ずかしいというか、反省させられたというか、悶々とした気分になってしまいました。

そうは言っても「福の家」のラーメンはおいしいので、替え玉をし、しっかりとスープまで飲み干し(どんぶりから直飲み!)自宅まで一気に帰りました。

 

そして、晩御飯にて。さっきの彼の光景が頭の中に残ったまま食事をしていたところ、長男の食べ方が非常に気になりまして。納豆をごはんに勢いよくぶっかけ、そのまま勢いよくかきこみ、「まじ、うめー!!」と口の周りにご飯粒と納豆のネバネバをつけたまましゃべるんです。思わず私は、「ちょっとは、上品に食べようぜ。」と言い放ちました。それを言われた長男からの一言が衝撃的だったのです。

 

 

「お父さんが、下品やからねー( ´艸`)」(笑)。」

 

・・・・・・・・・・はい。何も言えません。ちょっとは忖度しなさいよ。

 

 

鰻は食べられないわ、子供から「そもそも論」で論破されるはの非常に貴重な経験をした一日でした。

 

うーん。生きてるって素晴らしい!!!

 

 

今日のちょっと一息

「正しさを執拗に叫ぶのは、あなたが弱いからだ。」(ブラックジャックによろしく

 

 

 

神はお怒りになられますぞ

以前、投稿した記事です。

 

rogo65life.hatenablog.com

 レジ袋のごみは減ったけど、プラごみが増えてしまっているという内容。

 

今回は新たな事実を知ってしまいました。

 

なんと、不織布マスクが大量に海に流されているようですね。その数15億枚。不織布素材はプラスチックの一種で分解されずに残るみたいですね。

 

海外では廃棄マスクが排水溝を詰まらせる問題が発生したり、日本でもトイレに流したマスクが下水道にたまり、いろんな不具合が発生したところもあるようです。

 

マスクをトイレに流すなど考えもしませんでしたが、そういう事を何も考えずにやってしまう方もいるんですね。

 

こういう愚行を繰り返していると、今以上に大きな試練が神様から与えられるかもしません。

 

 

 

 

 

今日のちょっと一息

「神よ!ご乱心召されるな!!」

 

 

おいおい・・・。あぶねー

先日、ちょいと用事があり、警察署に行った時の事。あ、決して悪いことをしたわけではありませんよ!

年配の女性が免許更新の手続きをしているのが見えました。何かの引き寄せ効果でしょうか・・。妙に気になったため、私の用事を待っているふりをして近くのソファーに腰掛けました。

そこでの女性と免許更新担当者との会話が恐ろしかったんです。(女性A、担当者B)

 

B「うーん。やっぱり免許更新に必要な視力ではありませんね。」

A「え?そうなんですか?」

B「ええ。検査したところ、あなたの視力では免許更新はできませんよ。」

A「いやー、実は私ね・・・。白内障なの。近々手術する予定だから。手術終わったらちゃんと見えるようになるから。」

B「手術はいつあるんですか?」

A「いや、まだ決まってないのよ。」

B「そうなんですね。いずれにせよ、免許の更新はできませんよ。」

A「なんで!!今、ちょっと見えないだけじゃない!いつもこれで運転して問題ないんだからいいでしょ!!」

B「あのですね。矯正視力で0.3程度も見えてないのに、免許の更新ができるわけないでしょ?」

A「だから、白内障の手術が終わったら見えるようになるのよ!!もう!もう一回視力検査してちょうだい!」

B「もう2回したんですよ。それで見えてないんですから、何度やっても一緒です。」

A「〇✖◇☎〒〠!🍙・・・・」(何と言っているか分からなかった・・・。多分キレてたんだと思います。)

・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・。

 

恐ろしいですね・・・・。

Aは見えてないんですよ。しかも、逆切れ。担当者も困り果ててる様子でした。

そもそも、今まで運転に必要な視力がないにも関わらず運転し続けていた事実がさらに恐ろしい・・・・。0.3って結構危ないと思うんですが・・・・。夜の運転とかはほとんど見えてないでしょうね・・・。

無理やり免許更新して(そんなことはあり得ないと思いますが・・・。)事故を起こし、人の命を奪うリスクと、視力が回復するまで免許更新を保留にすることを天秤にかけてどちらが良いかの判断がつかないの?と言ってやりたい気持ちでした。そのほかにも私のブラックな心の声が溢れ出てきてました・・・。

こういう方たちを相手にしないといけない警察の方も大変です・・・。

 

損得よりも善悪で物事を考えるようにしないといけないな、と考えるいいきっかけでした。

 

今日のちょっと一息

「一文惜しみの百知らず」

 

 

 

当たり前は有難い

お母さん、お父さんの皆さん。いや、お母さん、お父さんに限りませんが、日常で当たり前にやっていることに対して感謝されたことはありますか?

 

今日はそんな当たり前のことについての話です。

 

先日、自宅に帰ると、リビングの壁に下のような手紙が飾ってありました。

 

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「おかあさんへ まいにち じかんをかけて そうじしてくれて ありがとう」

 

次男からの妻に対する手紙です。

 

妻が仕事から帰り、家の掃除などをして一段落したあと、ちょっと横になって休憩していたら少し眠ってしまったそうです。その間に次男が手紙を書いて枕元に置いてたそうな。

 

これを見た妻は当然ながら感動。涙がちょちょり。嬉しすぎるあまり、装飾して壁に飾ってしまったということです。

 

妻は当然のように家事をしています。私自身、それが当たり前の光景になっており、それに対して感謝の言葉などあまりかけたことはありません。たぶん・・・。(ダメな夫です。)

しかし、次男は母親が仕事から帰ってきて疲れているのにも関わらず、家のことまでやっていることに対して何か感じることがあったのでしょう。しかし、軽度の知的障害、自閉症というのがあってか、自分の思いをなかなかうまく口に出して言うことは難しかったのでしょう。自分にできることは何か、相手がどうすれば喜んでくれるかを、次男なりに考えて出した結果が、自分の知っている言葉で感謝を伝えるということだったのだと思います。しかも、「じかんをかけて そうじしてくれて」です。「そうじをしてくれて」ではなく「じかんをかけて」がついています。

 

以前、次男は私にも手紙を書いてくれました。

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「おとうさんへ いつも べんきょうの ようすを みてくれて ありがとう」

 

なにか特別にしてあげた、なにか買ってあげたなどの行為ではなく、普段、私と妻が当たり前のようにしていることについて「ありがとう」を伝えてくれる次男。

 

「当たり前」の反対は「有難い」といいますが、これを知っている大人の方はどれぐらいいるでしょうか?私自身、本を読んだり、講演を聞いたりして、いいおっさんになった時に気付いた、知ったことです。

 

小学校一年生の子供が誰からも教わっていないにも関わらず、体感でこれを実践でできる。これはすごいことだと思いました。

 

次男はたくさんの方に支援を受けて生活しています。周りの子供に比べてできないことは多いですが、支援を受けている分、周りの子供に比べて「感謝」を伝える事は格段に多いのかもしれません。だからこそ、当たり前のことに対して、「ありがとう」と素直に言える環境に身を置かせてもらっている。そしてそれが、いい意味でも悪い意味でも「次男の素直さ」と相まって「感謝」として自然に出てくるのかもしれません。

私も目の前の「当たり前」に感謝できるよう、素直な心を持ちたいものだと、10歳にも満たない子供に教えられました。

 

 

 

今日のちょっと一息

「ありがとう」を栄養に、「当たり前」を消化して、「ありがとう」を発散しよう!