今日のちょっと一息

人生皆師 楽しく生きよう!

それでも僕は感謝する。

子育て。イライラ。育て方。悪い。間違った。

 

これはグーグルでワードを入れると検索候補?というのでしょうか、上記のようなワードがでてきます。また、グーグルの検索履歴を消さない場合や、シークレットモードで検索しない限り検索したワードが出てきますよね。

ある時、ある方がスマホでグーグル検索をしているときの画面が目に入りました。その時に過去に検索したであろうワードが出てきていたんです。

まあ、その方と話をするにつけ、子供の話が出てくるのですが、どうも育て方に悩みがあるようでいろいろとネガティブな話が出てきます。子供に自分の思い描いた生き方をしてほしいんでしょう。子育てに失敗したくない。そういう印象を受けてしまいました。

 

ここからは自虐ネタで多少過剰に表現をします。あくまでも私自身の価値観で語っていきます。

育て方に「成功」や「失敗」があるのであれば、私は「失敗」なのかもしれません。

私には兄がいますが、兄と比べて「学歴」は低いです。「年収」も低いです。「学力」も低いです。「イケメン度」は私が高いはずww。「腹筋のシックスパック度」も私が高いはずww。親への迷惑のかけ方にしては「私は多大なる迷惑をかけ続けた。」です。大人になってからも同様。これ以上綴ると私の精神衛生上好ましくないのでこれくらいにしておきましょうか。

 

でも、こんな私でも、生活するだけには困らないくらいの収入を得て、家庭を築くことができています。恐らく・・・・。いや、そうであると信じよう。

私も子供がいますが、確かに冒頭の話のように「自分の言うことをきかない」ということでイライラしたり、どうすれば言うことを聞いてくれるのかを必死で考えたりしています。でも、子供なんてそんなもんかもしれません。私も子供の頃は親のいう事なんて右から左に受け流してましたし、反抗もたくさんしました。

「クソ✖✖◇▽🎵凸❕(自主規制)」や「し✖✖◇▽🎵凸❕(自主規制)」など、いかにも人権を無視した罵詈雑言を浴びせていたものです。逆に超素直?というのでしょうか感情も何もなく素直すぎるほうが私にとっては不安になると思います。

 

あ、そういえば母に聞かされた話ですが、できの良い兄が親に反抗したことがあって、その時に「クソ✖✖◇▽🎵凸❕(自主規制)」と言い放って家を出ていったそう。その時はものすごくショックで、ビールを飲みまくって寝込んだらしいのですが、それ以来免疫がついて「へでもなくなった」そう。なので、私がいくら「クソ✖✖◇▽🎵凸❕(自主規制)」などと宣っても母の体の中にある免疫機構が活性化し、「倍返し」いや、「100倍返し」を受けたのは言うまでもないですねww。私も懲りずに反抗の繰り返し。母と父は「お前が少々の事で問題を起こしても、ビックリせんわ。」との言いっぷり。大人になって私が大失敗した時も冷静に対処しれくれました(笑)

これは遺伝するのでしょう。少し前に私の長男が妻と口論。長男が「クソ✖✖◇▽🎵凸❕(自主規制)」と言いやがりまして、妻はというと、「私がクソ✖✖◇▽🎵凸❕(自主規制)なら、お前はクソ✖✖〇◆♪❢(自主規制)じゃ!!!」と言い放って頭をはたいておりました。母は強し。私は傍観者でダメ親父。

なので親も子もそういう風にお互いが免疫がついてともに成長するんでしょうね。

 

自虐的に私自身の育てられ方は「失敗」と表現しましたが、そんなことは関係ありません。今私自身がここにいてこうやってブログを書いているのも両親がいるおかげですし、こういうネタを表現できるのも、できの良い兄がいて、反抗的な私がいたからこそです。だから僕は反抗的な私を育ててくれた親に感謝しかありません。

 

子供が生まれた時、「生まれてきてくれてありがとう」や「幸せに生きていけますように」と願わなかったでしょうか。それがいつの間にか自分の願望ばかりを子供に押し付けて、自分の道具のように思ってしまってるかもしれません。

子供が社会の中で適応できるようになってもらうために、ある程度のレールを敷いてあげるのも親の役目かもしれません。たとえそうだとしても子供が生まれてきてくれた時の思いだけはブレずにしておかないと、いつか子供に見透かされるかもしれませんね。

 

子供が自分のもとに生まれてきてくれたことに「感謝」。

子供も親が自分の事を一生懸命に考えてくれていることに「感謝」。

 

 

今日のちょっと一息

「親の顔が見てみたいわー。ってよく言われてました。」

 

 

 

 

 

気付くのが遅かった・・・・。沼・・・・・。

「我以外皆我師也」という言葉をご存じでしょうか。小説家吉川英治の言葉で「宮本武蔵」の中に出てきます。どんなものからも学ぶことができるという事。私自身も当ブログのサブタイトル?に「人生皆師 楽しく生きよう!」とパクるほどいい言葉だと思います。私も普段の生活の中で何かしら発見、吸収し、今の自分が置かれている環境に置き換えて、役に立てようと努力しています。いや、しているつもり。いや、単なる自己満足なのかもしれません。でも、そのことを自分の周りにいる方の役に立てればと思い、当ブログをはじめてみました。(ほかにもいろいろな目的がありますが・・・。)

 

当ブログでも私が2020年末から趣味で始めたロードバイクから気づいたこと、学んだことをご紹介させていただきました。今日はそのロードバイク関連で気づいたことをつらつらと綴っていきたいと思います。

 

 

rogo65life.hatenablog.com

rogo65life.hatenablog.com

rogo65life.hatenablog.com

rogo65life.hatenablog.com

 ロードバイクを始めるにあたって、私がロードバイク仲間から言われていたこと。それは、「初期投資が終わったらほとんどお金かかりませんよ!健全な趣味だから安心してください!」と。私もその方のお言葉を信じ、嫁を異口同音に説得。初期投資に諭吉さんが何人も私のもとから離れていきました。金に飽かすこともなく・・・・。

 

しかーし、私の性格上、ハマったら結構なオタク具合になってしまうんです。過去の例で言えば、デブだった私がダイエットに成功。その際に筋トレ関連、食事学、栄養学などの本やグッズにどれだけ使ったかわかりません。まあ、そのおかげで80㌔近くあった体重を60㌔まで落としてかれこれ7年以上リバウンドはしておりませんし、健康診断の結果もオールAを貫いています。また仕事でも役に立っているので費用対効果に合っていたと思います。

ロードバイクで言えば、あれが欲しい、これも欲しい、もっと欲しい、もっともっと欲しい🎵と次から次にほしいものが出てくるんです。タイヤを変えればもっとスムーズに走れる、200㌔ぐらいのロングライドに行きたいからこういう装備が必要だ、夜にも走りたいから明るいライトが欲しい、、、、、、、。気づいたらAmazonでポチリ、ポチリ、ポチ、ポ、・・・・。自宅にAmazonの段ボールが届き、嫁にばれる。子供たちは祖父からのプレゼントが来たと勘違いしてテンション上がるが、開封の儀を過ぎるとテンションダダ下がり。次男においては涙を流す始末。その繰り返し。完全に「沼」にはまりました。

ロードバイク仲間と一緒にライドしたときに言われたこと。「お!とうとう沼に足を突っ込みましたね!もう抜けれませんよwww」です。

 

私は言いたい。

「人生 皆 詐欺師!!!!」

 

そういえば、私の親族にもペテン師というか、詐欺師みたいな人がいたのにwww。私も幾度となく功名巧みに洗脳され、いつの間にかそのことに納得していた・・・。そういう経験があったのになぜ気づかなかったのか。これはもうアホとしか言いようがない・・・・。いや、勉強になった。

 

やはり、「人生皆師 楽しく生きよう!」

 

ロードバイク仲間も私の親族も決して悪い人ではありません。今でも楽しくお付き合いさせていただいております。ロードバイクは楽しいです!!決して悪く言うつもりはありません。これからも乗り続けます!!当ブログのために多少おもしろおかしく表現しておりますのでご了承ください。

 

 

今日のちょっと一息

ロードバイクのおかげで労働倍苦」

やっちまったぜ

みなさーん!

日差しが強くなってきました!

日焼け止めは満遍なくしっかり塗りましょう♪

こんなふうになりますよ!

f:id:rogo65:20210426213645j:image

膝から下はしっかり塗ってましたが、サイクルパンツとの間を塗り忘れて😂こんな羽目に😂

たった5時間、ロードバイクに乗っただけで⁉️

痛い。痛い。

こういう時に、薬の知識があるのは役に立ちますな。

 

 

 

今日のちょっと一息

痛いなら治してみせようホトトギス

膨大な情報に困惑してしまいますね。

「療育」についてのネットニュースなどを見ていると、様々な考え方が山のようにあります。最近、私が気になった記事は「療育をしない!が正解!」という具合のタイトルがついた記事。タイトルだけを見た時には「おお!俺が子供に受けさせていることは間違いなのか!?」と一瞬気持ちが揺らぎました。

 

子供の療育について悩んでらっしゃる方は「発達障害」「療育施設」「療育 効果」

などいろいろな検索をされていると思います。検索したものはいいものの、膨大な検索結果の中から正確な情報を読み取らなければいけません。でも、何が正しいのか判断がつかない。私だってそうでした。今でもそうです。私の子供に関して言えば、早期に障害が分かり、療育を受けられたおかげで、少しずつではありますが、本当に少しずつではありますが、成長してくれています。冒頭のネット記事でもあったように、実は療育というものが必要なかったのかもしれません。放っておいても自分の力で周りの状況を理解しながら成長していけたのかもしれません。でも、療育のおかげで成長できたのは事実。困り果てていた私と妻の気持ちがだんだん楽になっていったのも事実。ネット記事に対して否定的な考えを持っているとかそういうのでもありません。「そういう療育の方法もあるんだね。勉強になった。」という感じでしょうか。

 

療育を受けているお子さんの状況が芳しくなく、今の療育が本当にあっているのか悩んでいる親御さんもたくさんいる事でしょう。そんな時に冒頭の記事なんかを見ると心が揺れると思います。揺れますよね。揺れますよ。私も揺れました。ブレないほうがおかしい。人間の本能です。でも、それだけ子供のことをちゃんと考えている証拠ですよね。だからこそ、膨大にある情報を理解して、子供にとって何がベストかを選択できる力を親が身につけないといけないと思っています。療育で一番変わるのは「親」かもしれません。私自身がそうです。一番変わったところと言えば、いろいろな事に興味を持ってそれを吸収しようとしているところでしょうか。今までは何かあっても「我関せず」「興味なし」「自分にとってプラスにならないことは排除」という考えでしたが、子供と療育を経験していくうちにそれではダメだと気付いたんですよね。自分の子供の事だけを考えていてもダメ。障害がある以上、誰かのお世話になることは必須。(障害が無くてもそうですが・・・。)そうなると自分の身の回りに起こることに対して何かしら行動できないといけない。行動するためには考える。考えるためにはネタが必要。だからいろいろな事に興味を持って自分の中に吸収して、それを出していかないといけない。

発達障害の子供であろうが、普通の子供であろうが基本的に育て方は変わらない。発達障害の子供のほうがいろいろなアプローチをしてあげて、少し手間をかけてあげる必要があるだけ。だから親がいろいろなアプローチができるようにならないといけないのではないかと思っています。

 

ここまで、いろいろと書いてきましたが、結局は子供に対して一生懸命になっていれば必ず子供は応えてくれるはずです。子供はちゃんと見てくれています。一生懸命にやったものの、間違った選択をしてしまうかもしれません。でも、それが悩みに悩んで出した結果そうなってしまったのであればそれは仕方のないことだと思いますし、そうであったとしても長い目で見た場合、それがあったから良い方向に進んだと思える日が絶対に来るはずです。悩む、間違うのは「当たり前」。「当たり前」の反対は「有難う」。良い方向に進むのは「有難し」。すべてに感謝していきましょう。

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。皆さんの何かしらのお役に立てれば幸いです。感謝。

 

 

今日のちょっと一息

「間違いと失敗は我々が前進するための訓練である!!!突撃じゃー!!」

 

生涯現役!?

 NHKテレビにて「70才、初めて産みますセブンティウイザン。」というものが放送されていました。現実にあるのかだとか、どうだとかは別として、生涯現役という言葉についてちょっと考えみるいいきっかけになりました。

 

 

 

rogo65life.hatenablog.com

 

私の年齢を考えるとまだまだ働き盛り。しかし、私と一緒に働いている方々の年齢をみると60代以降の方がたくさんいらっしゃいます。しかも、超元気。少しは落ち着いて!!(いい意味で)というくらい元気に働いていらっしゃいます。その方々に何歳まで働きたいですか?とお聞きすると、大半の方が、「会社が雇ってくれるのであれば、体が動き続ける限り働き続けたい。」との返事。うーん。すごい。老後は年金もらってゆっくり過ごすという考えがほとんど無いみたいです。まあ、中には「旦那が家にいて一緒にいるのが嫌だから、私は外に出て働くことがストレス発散!ボケ防止にもなるし、お給料をもらえてこれほどいいことはない!」とおっしゃる方もいますが(笑)( ´艸`)

 

ただ、会社に採用されて一安心ではありません。現状に甘んじていると危ないなと思います。若い世代が減り、高齢の方が増えていく中で、高齢の方同士の「競争」が生まれてくるでしょう。自分は何ができるのか?今まで働いてきて得たスキルは?などなど。おんぶにだっこ状態では必要ないと思われてしまうでしょう。

 

「現役であり続ける=競争に自分を置き続ける=自分を伸ばし続ける」

 

現状に甘んじたままでこの原理をわかっていないと難しいでしょう。所詮、世の中は競争で成り立っていることばかりですよね。あなたが勝てば、誰かが負けている。あなたが負ければ、誰かが勝っている。これの無限ループ。

常に勝ち続けて誰かを蹴落として生きていくという事ではありません。自分自身をそういう風に律していかないと、今後来るであろう大きな困難に立ち向かっていけないかもしれないという私の思いです。

 

「心想事成(しんそうじせい)」という言葉があります。これは棋士谷川浩司さんの言葉です。心に想うことは成るという意味です。すごくいいですね。谷川浩司さんは、「真剣に本気で打ち込んできた時間が長く、思いが強い人ほど良い結果を得ることができるし、そのための運も呼び寄せられる」、ということをおっしゃっています。また、「勝負の神様はそういうところをきちんとみておられる」とも。

「運」だとか「神様」だとかスピリチュアルな話ですが、私は信じていますし大切な事だと思っています。話は逸れますが、実家に帰った時には仏壇に必ず手を合わせて挨拶をするようにしています。だって、ご先祖様がいたから私があり、子供たちがあるから。その感謝だけは忘れずにいたいものです。ちなみに、先祖を探ってみると10代前で約1000人、20代前で約100万人くらいになるみたいですね。それを考えるとお隣さんがもしかすると遠い遠い親戚とかかもしれませんね。人類みな兄弟。おっと、これ以上いくと話が全く別の方向に行ってしまいそうなので、ここらで閉めましょう。

ということで、生涯現役であり続けるために私は色々な事を考えながら日々鍛錬していきたいと思います。

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。

私自身が甘い考えの人間で、今までにたくさんの恥ずかしい失敗を繰り返してきたので自分への戒めとして書いています。ご了承ください。

 

 

今日のちょっと一息

「セブンティでもロードバイク。迷惑運転にならないように日々鍛錬。」

 

 

どうして僕は運がいいの?

家族みんなで夕食を囲んでいた時の事、私と妻との間で療育についての話が出ました。

私たちの息子は療育環境においてものすごく恵まれているという話です。

 

息子の異変に気付き、診断を受け、軽度の知的障害を伴う自閉スペクトラム症ということが発覚し、療育施設に通うことになりました。その療育施設の先生方の多大なる支援、また、障害があるということを理解したうえで受け入れてくれた幼稚園の先生方のサポートのおかげで、スムーズに小学校に進学することができました。また先天性の奇形があるため、数度の手術。その手術がまた技術的に難しいと言われている手術だったのですが、良い先生に巡り合えて何とか乗り越えることができました。

 

私は仕事柄、転勤があり、今現在住んでいる地区に転居してきたときには、正直がっくりしていました。その理由は、決して都会とは言えない田園風景の素晴らしい地域。夕暮れにはカエルの大合唱。そして高速道路へのアクセスも悪く、出かけるにしても結構な時間をかけないといけないようなところなんです。しかし、療育ということを主におくと、とても素晴らしい環境だったんです。これを運がいいというのでしょうか。

 

そういう話をしたときに私が「いやぁ、本当に次男くんは運がいいねぇ。」と小さな声で独り言のように言いました。すると、次男が、「ぼくはどうして運がいいの?どうしたらもっと運がよくなるの?」と聞いてきました。テレビ見てたくせによく聞こえたな!?とビックリしましたがww。

「運」という言葉をちゃんと理解して聞いてきているのかはわかりませんでしたので、私はできるだけ次男が分かるようにこう答えました。(頭の悪い私が知恵を振り絞って出した内容です。ご了承ください。)

「運がいいっていうのは、いいことがたくさん起こることなんだよ。次男くんが運がいいのは、いつもにっこり笑顔でいるからなんだよ。運を持ってきてくれる神様は笑顔が好きなんだよ。だから、次男くんが笑顔でいることで、みんなをうれしいなぁとか、たのしいなぁっていう気持ちにしてあげると、神様がもっともっと次男くんにいい運をもってきてくれるんだよ。でも、悲しい時とか苦しい時はちゃんと周りに言わないといけないよ。我慢して笑顔でいても神様は嬉しくないからね。」と。

 

次男は話を理解してくれたかどうかはわかりませんが、翌日も相変わらずの良い寝起きで「おはよー」と笑顔で挨拶してくれてます。

 

斎藤一人さんは、

「人の心が軽くなる、人の心が明るくなる、要するに人に喜ばれることをすると、人間力というのがどんどんついてくる。これが世間で言う徳を積むってことなんだよ。」

「そしてこの徳を積むにはね、見返りを求めずに喜びの種を蒔くのが一番いいんだよ。そうしているうちに運が良くなっていくの。これが運が良くなるためのマスターキーなんだよ。」ということをおっしゃっています。

次男は誰からも教わることなく「笑顔」言い換えれば「顔晴る(がんばる)」という行動で自分の周りを幸せな気持ちにしているのかもしれません。そしてその行動には見返りを求める事はまったくない。結果として運が良くなる。

なんてすごいことだろうか。何十年も年齢が離れている子供に教わることもたくさんあるもんだとしみじみ思いながら、今宵も焼酎をグイっと飲んで笑顔になるオッサンでした。

※「次男くん」は実名を伏せるためにこのように記載してます。ご了承ください。

 

 

今日のちょっと一息

「幸福になりたいなら人を喜ばすことを勉強しよう。そうしよう。」

大変だとよく言われますが、感動することのほうが多いです

「そうだったんですね。ご苦労も多いことでしょう。大変ですね。」

私がよく言われる言葉である。

 

私の家族のことを話すときに次男の話題になると障害の事も話すのだが、ほぼほぼ全員が冒頭のような表現をされる。別にこれが悪い気分がするというわけではない。むしろ相手のことを気遣ってくれていると思うくらいだ。

 

 

rogo65life.hatenablog.com

 

おそらくほとんどの方は障害を持っている家庭の親御さんたち、また、介助、支援をしている方々は本当に大変で苦労が多いことだと思われているのだろう。障害の状態によっては確かにそうかもしれない。毎日が苦しく、自分の時間をすべてその方に注いでいる方もいることだろう。そういう方もいるというのをちゃんと理解したうえで私は思うのだが、私自身は「感動や感謝することのほうが多い。」と思っている。

 

私の子供の場合でも「将来への不安」というものは尽きない。誰からの支援なくして生きていけるのか?仕事に就くことができるのか?先天性の奇形は悪化しないだろうか?障害がきっかけとなり人間関係が悪化して孤独にならないだろうか?などなど。言い出せばきりがない。ただ、障害を持っている持っていないに限らず誰もが持つ不安なのかもしれない。「障害」という言葉が「大変」「苦労」「辛い」などのマイナスなイメージを誰もが連想するのだろう。私もそうだった。次男が生まれて障害があることが分かり、ある方からの話を聞くまでは。

 

約6年前、次男の障害が判明したり、その他いろいろな事が重なり人生のどん底という感じで過ごしていた。その時に、職場に私の尊敬する上司が転勤してきて、久々に色々な話をした。その上司には私は心を許しており、ありのまま自分の状況を話した。その中で次男の障害の話をしたときに、上司から言われたことが、

「そうだったんだね。でも、よかったと思うよ。俺は安心した。ハンディを持って生まれてくる子供は自分のことをしっかり育ててくれて、愛情をたくさん与えてくれる親のもとに生まれてくるんだよ。あなたにはそういう役割があるんだよ。確かに、苦労もするだろうし、いろいろな困難があると思う。でもね、それ以上に感動することや感謝することのほうが多いはず。そしてあなたにいつか大きな「何か」がいい形で返ってくると思うよ。」と。

今までが「大変ですね。」「苦労なさってるんでしょう。」「悩みが尽きないですね。」などマイナスを共感するような話ばかり聞いてきた。上司のこの一言がきっかけで私の気持ちはぐっと軽くなった。本当に。

 

次男の療育も最初はうまくいかないことが多かった。自閉症も相まって独り言が延々と続いたり、空を見上げて何かをつかんで食べる仕草をやってみたり、同じところをぐるぐる歩き回ったり、人の話を座って1分も聞けない・・・・。まぁ、心が折れそうになることもあった。

しかし、いろいろな方のご支援があって、少しずつ、本当に少しずつではあるが、できることが増えてきた。椅子に座って話が聞ける。たったこれだけで「おお!」と感動。名前を呼ばれて「はーい」と返事ができる。たったこれだけで「まじか!?」と感動。小さなことで感動しっぱなしの日々。常に「障害」という言葉が頭の中に張り付いたままだったのがほんの小さな「感動」の連続でだんだんと剥がれていった。上司の言葉が何度も頭の中をヘビロテしている。

 

あいをんちゅー🎵ポップコーンが弾けるように「感動」という文字が躍る

こんな気持ちになれるって 僕はついてるね

 

最近の感動の極みがこれだ。

 

rogo65life.hatenablog.com

 小さなことに気付いて「ありがとう」を伝える。大人でもなかなかできないことができるようになった。

 

 

親御さんたちの話で「うちの子供が言うことをきかなくて」「なんであんな風になったんだろう」など子供に対しての愚痴をこぼす場面をよく見聞きする。これは完全に毒を吐くが、いや、大炎上ものだと思うが、障害を持ってなくても素直でないちょっと方向性を間違った子供のほうが何かと大変だなと私は思う。そして感動や感謝の気持ちがほとんど見えない。いや、たまにそれで大成する方もいるとは思うが、そういう人はもともとが素直だと思う。私は成長は素直さに比例すると思っている。

 

これからもいろいろな事が待ち受けていることだろう。しかし、目の前に起きた事実をしっかりと受け止めて「感謝」することを忘れず、「素直」になり、「感動」する日々を送っていきたい。

 

今日のちょっと一息

「救世主はだいたい落ち込んだ谷底で現れる」

私の上司は救世主だった。